次の約束。
西暦2052年。ダニーはそのとき、5歳の男の子でした。キャサリンという名前の3歳の女の子と一緒に、いつも街中を駆け回っていました。ダニーは、短い髪の毛をしていて、髪の毛は、くるくるとちぢれています。ダニーが住む街は、アメリカのニューヨークというとても大きな都市で、中心からほんのすこし外れたところにあります。ここでは、ダニーと同じ肌の色をした大勢の人たちが暮らしていますが、大人たちが言うには、肌の色の違う、白っぽい人たちからは、あまり仲良くしてもらえません。
でも、ダニーにとって、そんなことはどうだっていいことでした。ママのおつかいでいつも行くお店で、それはそれはかわいらしい女の子と遊び友達になれたからです。ダニーとは違う真っ白な肌で、背中まで伸びた髪の毛は、太陽の光を受けると、小川に光る金の砂みたいに見えました。ニューヨークには大きな公園がいくつかあるのですが、ふたりとも、公園の中にある小さな噴水で水遊びをするのが大好きでした。
「ねぇ、あの子たちの背中に羽根が見えない?」
ベーグル屋のおばさんは、よくそう言っては優しそうな微笑を浮かべて、他のお客さんに尋ねていました。ダニーは、一度だけ、振り向いて自分の背中を確かめたことがありましたが、羽根は見えませんでした。
ある昼下がり、キャサリンといつもの公園で遊んでいると、噴水のところに小さな虹の輪ができていました。初めにそれに気づいたのはキャサリンでした。
「レインボウだぁ!」
ダニーの手をとって、駆け出します。ダニーは、まだ虹を見たことがありませんでした。
「レインボウって何?」
ダニーは驚いてキャサリンに尋ねます。キャサリンは走ったまま息をはずませているので、ただ噴水のほうを指さすので精一杯でした。近くまで来て、やっと言葉が口から出てきます。
「あれ、あれ! ほら、キレイでしょ。」
噴水にたどりつくと、細かい水しぶきの中に、いくつもの色をした一本の光の輪が輝いているのが見えました。キャサリンが宝物の隠し場所を教えてあげたときのような得意そうな顔をしてダニーを見ると、ダニーはただ、目を大きくしてじっとそこに立っていました。
「これね、不思議なんだよ、ダニー。こっちからは見えるんだけどね、向こう側に回るとね、見えないの。」
言われた通りに、噴水の反対側に回ってみると、虹はちっとも見えません。もう一度引き返してから見ると、ちゃんとそこにあるのでした。
「触ってもいい?」
ダニーはキャサリンにたずねてみました。ママから、自分のものではないものに触れるときには、相手に頼むように教わったばかりだったのです。
「いいけど、ぬれちゃうよ。」
ダニーは水しぶきの中に手を伸ばしました。まだ春になったばかりで、水はびっくりするぐらい冷たく感じられました。はねた水がキャサリンのまぶたに少しかかって、キャサリンは小さな声をあげました。
「あ、ごめんよ。もう少しだから。」
ダニーが謝ります。キャサリンは、いいの、というそぶりをして、ダニーの背中に隠れます。
「あれ? 届いてるはずなんだけどな。キャサリン、ねぇ、見える?」
キャサリンは、さっきはねて目にかかった水を手でごしごしこすっているところでした。
「うん。ダニー、でもね・・・。」
ダニーの耳にはキャサリンの言葉は届いていないようです。一生懸命、虹をつかまえようとして手をばたばたさせています。
そのときでした。
「こら! お前たち、そこで何をしてる?」
ふたりは驚いて声の主を見上げました。そこにいたのは、大きな黒い眼鏡をかけた、制服姿のおまわりさんでした。地面にまかれたパンくずを食べていた鳩たちは、その声に一斉に飛び立ってしまっていました。いつも遊んでいる公園なのに、なんだか、知らない場所にひとりぼっち、迷子になってしまったような寂しさがダニーを襲ってきました。
(でも)ダニーは思いました。(ひとりじゃないんだ。)後ろ手にキャサリンの手をとると、背中にかばうようにして、おまわりさんの顔を見上げました。のどがからからに渇いて、うまくつばを飲み込めません。
「聞いてるんだよ。坊やたち。そこで何をやってたんだ? コインでも拾いにきたのか?」
コイン? ダニーにはおまわりさんが何を言っているのかわかりませんでした。
「キャサリンは何もしてないです。」
反射的に、ダニーはそう答えていました。でも、ダニーだって、何も悪いことはしていません。ただ、虹をつかみたかっただけなのです。ママに言われた通り、触ってもいいかどうか、キャサリンに尋ねて・・・。
「おじちゃん、レインボウだよ。ダニーはね、悪くないもん。」
うしろから大きな声がしたので、ダニーはびっくりしました。キャサリンの声が、背中にびりびり響いてきます。
「レインボウだって? そいつに頼まれたのか? 噴水に落ちてるコインを集めてくるように、って。」
ダニーはびっくりして、噴水の中に目をやりました。見ると、たしかにいろんなコインが、自分の影のところにあります。
(ちがうよ、おまわりさん。僕は・・・。)
「レインボウだよ。おじちゃん、そっち側にいるからわかんないんだよ。」
キャサリンはダニーの背中を離れて噴水の反対側に回ると、おまわりさんの手をとって、ダニーのすぐそばまで連れてきました。怖くて、ダニーの心臓はすごくどきどきしていました。でも、なぜか、おまわりさんからは、大好きなパパと同じ石鹸の香りがしました。
「ほら、ね。おじちゃん、見えるでしょ。」
キャサリンがそう言ったとき、おまわりさんの顔が、突然優しい顔に変わっていくのがわかりました。
「ああ、レインボウか! いや、こいつはすまなかった! そういう名前の悪い仲間がいるのかと思っちゃったんだ。許しておくれ。」
おまわりさんはそう言うと、ダニーの頭をくしゃくしゃ撫でて、もう一度、
「ぼうず、ごめんな。」
と言いました。
おまわりさんは恥ずかしそうに制帽をかぶりなおすと、公園の出口のほうへ向かって歩いて行きました。
ダニーのどきどきはもう収まっていましたが、足は棒になったみたいに固まっていて、動かそうとするとひざががくがくしました。
「ダニー?」
キャサリンが言いました。
「レインボウ、いなくなっちゃった。」
振り向くと、虹はもう見えません。風が公園の木々を揺らし、遠くで犬の鳴く声がしました。まだ空は十分明るいのですが、右側の顔を見せた月が、雲の向こうに見え隠れしていました。
「帰ろっか、そろそろ。」
ダニーが言いました。
「今日はね、ママがね、おいしいスープ作ってくれる日なんだ。」
キャサリンはダニーとつないだ手を、まるで兵隊さんが行進するときのように上下に大きく振りながら、そう言いました。
帰り道、キャサリンは何度も足を止めては、月を眺めていました。
「どうしたの? キャサリン。」
ダニーが不思議そうに尋ねます。
「ううん。月もね、きっとダニーのこと好きなんだ。」
「どうして?」
「だって、さっきからずーっと、追いかけてきてるんだもん。」
ベーグル屋さんの前まで来ると、ふたりは手を振って別れました。
次に会う約束は、ふたりには、必要のないことでした。
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